クラブ ノブ ~英傑大戦ブログ~

ゲーム好きおじさんの日常を綴っていきます。アーケードゲームの英傑大戦・三国志大戦に関する話が多めかもしれません。

短編小説~黄金の兜~

「入ってもよろしいですか?」
「うむ」


障子を開け、

部屋に一人の若者が入ってきた。


部屋の奥に座る老人の前に腰を下ろすと、
若者は脇に兜を置いた。


若者は小柄な老人を見下ろすほどの巨体で、

黒々とした髪をあざやかに総髪に結い上げ、
濃い眉の下にはこれまた黒々とした大きな双眸が爛々と輝いている。


「準備整いましてございます
半刻ほど後、出立致します」


若者が言うのを聞くと、老人は
「そうか・・・」
と言葉を発した後、遠くを見るような目つきをした。


「あの権六も立派になったものよの・・・」
「もう権六郎ではござりませぬ、今は勝重という立派な名がありまする」
「そうであったな。すまぬすまぬ」


そう言うと、老人は懐から金包みを出し、若者の前に置いた。
「これは任地に向かうまでの路銀の足しにしてくれ」
「では、遠慮なく頂戴致します」


若者が金包みを押し頂くように懐にしまうのを見届けてから、
老人が話し始めた。


「お前も知っていようが、戦は避けられる情勢となっておる。
儂は関白公には一方ならぬ恩を受けた。

・・・だが、今の豊臣家に従う気にはなれぬ。
儂は江戸殿に従うつもりじゃ。」


若者はその言葉に安堵の表情を浮かべた。
「それを聞いて安心しました。では、戦の際には供に戦えまするな」

「うむ。しかし、戦となればこれでやっと勝家公の無念を晴らす機会ができるの」
「無念・・・でござるか」
「・・・あまり嬉しそうでないな」
「私には無念の気持ちはあります。ただ、勝家公・・・お爺様は無念とは思われていなかったかもしれません」
「無念で無かった・・・というのか?」


今度は若者が遠くを見るような目つきをした。
「そういえば、高吉様にはあの日のことをしかとはお話しておりませんでしたな。
北ノ庄城落城の折の出来事を・・・」


「ご存知とは思いますが、あれは1583年。

賤ヶ岳の戦いで敗れたお爺様たちの軍勢が北ノ庄城に帰り着いた時、
出陣時には3万を数えた軍勢が数百にまで減っていたそうです。


それでも城に残るものたちは篭城に備え、

皆戦準備を進めていたと記憶しております。


しかしお爺様は城に着くやいなや、
無益な戦をこれ以上しないように申し伝えました。


そして・・・追い腹を禁じて自害なさる少し前に、私を呼び出されました。


私はあの時まだ3つ。
城内の只ならぬ雰囲気に怯え、
泣いていたばかりいたような気がします。


そんな私にお爺様は優しく、こう語りかけてくださいました。
あの時の言葉だけは今でも一言一句思い出せるのです。」



「権六郎。実はこの城にはもう住むことができなくなった。
お前はこれから上野国日根野高吉殿の元で暮らすことになる」


そして澄み切ったような笑顔を浮かべると、この兜を私の前に置き、

「これを持っていけ。これはなかなかの業物じゃ。
もし路銀に困った時にはそこそこの値になろう・・・」
とおっしゃいました。


「そんなことをおっしゃっていたのか・・・」
「この兜をかぶって秀吉を討て、と言われたとでも思っていらっしゃいましたか?」
「うむ・・・まさにそう思っておった」


その後若者は沈思していたが、

しばらくすると再び話し始めた。


「きっとお爺様は彼我の戦力差から敗れることは覚悟していらっしゃったのでしょう。
ただ・・・織田家筆頭家老の意地を捨ててまで秀吉殿に従うことができなかった。


それに・・・これは私の想像ですが、

ただひたすら右府様に従って戦に邁進してきたお爺様には、
自分が日の本を治める姿が考えられなかった。

しかし農民から成りあがり、人の心を掴むのに長けた秀吉殿であれば、
この日の本に泰平をもたらすことができるのではないかと考えられたのではないでしょうか」


「その秀吉殿に敗れたのであれば、無念の気持ちは無かったと」
「そうでござる」
「うむ・・・だが、実際には戦は終わらなかった」
「でござる。なので、私には無念の気持ちがありまする・・・」
若者は絞り出すような声で言った。


「家康公に実際にお会いし、私はこの日の本に泰平の世をもたらしてくれる方だと感じました。
ですから、徳川家に与力することを決意したのでございます」
「お前が江戸殿の召し出しを受けてくれた時には単純に世に出たいだけと思うておったが、

そんな想いがあったのか」


しばらくの沈黙の後、老人が口を開いた。
「次に会う時は戦場になるやもしれぬな」

「高吉様・・・13年間、本当にお世話になりました。」
そう言うと、若者は深々と頭を下げた。


「うむ。次に会う時まで健勝であれよ」
「高吉様も。では、これにて失礼いたします」

そういうと若者・・・柴田勝重は染み入るような笑顔を一瞬浮かべた後、
勢いよく部屋を後にした。


その一年後、関ヶ原の戦にて柴田勝重は初陣を飾り、
その後の大阪の陣においても功を重ね、加増を受けた。


加増された領地にて勝家公の兜を奉じた神社を建立し、
その神社は柴田家が移封された後も、周辺住民によって守られ続けたということです。